バチェラー4に出演する男性がバチェロレッテで人気だった黄皓(コウコウ)さんと分かり、ファンから喜びの声や、黄皓さんの恋愛見るのつらいなどの声があがっています。
そんなアイドルのようにイケメンで大人気の黄皓さん。
バチェロレッテでは恋愛には一歩踏み出せませんでしたが、何でも器用にこなしていてミスターパーフェクトといわれていました。
どんな両親に育てられたのか、生い立ちが気になりますよね。
黄皓さんがイケメンなので、両親も美男美女だというのは予想できますが…
この記事では、黄皓さんの妹も気になりますが、両親ににスポットを当てて、黄皓さんが「大好物」と話す愛があふれる家族について紹介します。
黄皓の両親は苦労人だった?
黄皓の家族構成

黄皓さんの家族は14歳年下の妹と黄皓さんの4人家族です。
妹みきさんもかわいくて優秀で、黄皓さんと仲良しですが、この記事では両親について紹介します。
父親 黄天霽(こうてんさい)
母親 冷冰(ひれい)
長男 黄皓
長女 みき
黄皓さんが父親の会社を引き継いでいるので、黄皓さんは生まれつきご両親が資産家なのかな?と思いますよね。
ちなみに、バチェロレッテで実家訪問した時は豪邸で撮影されていましたが、両親が日本に来ているので、実家がどのようなところなのかは分かりません。
実は、黄皓さんの幼少期は、お父様は会社を設立しておらず、貧しかったようです。
黄皓の両親は日本に出稼ぎしていた!

黄皓さんの幼少期、家庭の経済状況には波があったそうです。
3歳の頃、黄皓さんを祖父に預けて両親は日本に出稼ぎをしています。
両親は中華料理屋の皿洗いで生計を立てて、その後は当時日本で流行っていたディスコを中国にもってくるというビジネスをしていた建設会社に勤めていましたが、勤め先が倒産しました。
その後、お父様は起業したそうですが、何度も失敗しています。
僕が小さかったころの父は、まだ自分の会社を持っていませんでした。僕が3歳のころに父と母は日本に出稼ぎに行って中華料理屋の皿洗いをしながら生計を立てて、その後は建設会社に勤めていたのです。
引用:KEY PERSON
30年以上前ですが、当時の日本で流行っていたディスコというか、クラブ的な施設を中国の北京や上海にもってくるというビジネスをしていた会社だったそうです。残念ながら、その会社は倒産してしまって、父はその後に起業しました。
黄皓さんが3歳の時に日本に出稼ぎとは、驚きですよね!
ご両親はとても辛かったのではないでしょうか?
幼少期は苦労人だったようです。
黄皓の父は何度も事業で失敗していた!

黄皓さんが覚えている範囲ですが、お父様は、黄皓さんに引き継いだ貿易会社上海TCL以外にも様々な事業に挑戦し、失敗を繰り返していたそうです。
- 割り箸製造
- ゴミ回収
- ワイシャツ販売
など本当に色々な事業をされています。
残念ながら、ほとんど上手くいかなかったそうです。
黄皓さんは、お父様の失敗を、子どもながらに「それ、ビジネスになるの?」と冷静に捉えていました。
黄皓さんが3つの会社で成功しているのは、お父様の失敗をみていたからかもしれませんね!
父は理系の賢い人で理路整然と話すようなタイプですが、商才はなかったようですね(笑)。
引用:
なぜか、ビジネスとなると「エイヤッ」とドンブリ勘定でやるところがあったし、当たる事業を見極めるのもそれほどうまくありませんでした。子供の僕が見ても「それ、ビジネスになるの?」みたいなことをやっていましたからね(笑)。
黄皓の両親は黄皓大学時代も貧しかった?
黄皓さんのインタビューを見ると、黄皓さんの大学時代にも、両親は生活が苦しかったことがあるようです。
倒産寸前になった過去が具体的にいつなのか分かりませんが、両親が苦しいのを知らずに大学で何不自由なく生活できていたということなので、おそらく、最近も事業が危機に陥ったことがあるでしょう。
黄皓さんのお父様は、2005年8月上海TCLを創業しています。
黄皓さんの大学時代は2004年~2008年なので、ちょうど創業当時で大変だったのかもしれませんね。
黄皓さんは早稲田大学卒業なので、学費にもお金がかかりますよね。
早稲田大学商学部の初年度にかかる費用は、約121万円です。
授業料 | 971,000円 |
入学金 | 200,000円 |
実験実習料 | 5,000円 |
施設設備資金 | 0円 |
教育充実費 | 0円 |
維持費他 | 800円 |
初年度納付金合計 | 1,176,800円 |
入学検定料 | 35,000円 |
しかも黄皓さんは、高校時代からモテていたそうですが、大学でさらにモテて、大学生活をエンジョイしていたようです。
高校は推薦で入学したので、周囲のレベルに遅れないように学業に打ち込んでいたと話していますが、大学は学業に打ち込むよりも、ファッションにお金が使うのを楽しんでいます。
私は推薦入学で高校に入ったのですが入学先がいわゆる進学校だったので、中学の先生に「お前があそこに入学できたのはとても運がいい。でも、いまの学力だと毎日勉強しないと置いていかれる」と言われました。僕はそのアドバイスをまじめに聞いて、本当に毎日勉強するようにしていました。
(中略)
大学生「デビュー」はいかがでしたか?(笑)陽キャまっしぐらです(笑)。高校のころから少しずつ「イケメン」みたいに言われていたのですが、大学ではもっと……モテたので(笑)。それで、勉強はすごくおろそかにしていましたね(爆笑)。
引用:THE KEY PERSON
僕は学生のとき、雀荘に行って帰って「今日楽しかったな」ぐらいで生きていたんですよ。これといって学業に打ち込んだ記憶はなくて、どっちかっていうと洋服買うのが好きで、「お金使うの楽しいな~」みたいな。
引用:ONECAREER
後から、黄皓さんが大学時代に両親が貧しい生活をしていたと知って恩返しがしたいと話しています。
私が父に対して強い憧れの気持ちを抱くのは、父の会社が倒産寸前になった過去があり両親が貧乏な生活をしていたにもかかわらず、自分にはその素振りを一切見せず、自分が大学で何不自由なく生活できていたことを知ったからです。その事実を知ったとき、「将来、必ず恩返しがしたい」という思いが湧きました。これが自分の起業の原点です。父の会社を継ぐときもその会社よりも稼いで、恩返しする気持ちもあり、日本で新しい会社を立ち上げたのです。
引用:Forbes
親のお金の苦労を子どもに見せないご両親、素敵ですね!!
黄皓さんを愛していることが良く分かります。
ちなみに、2018年、黄皓さんが会社を引き継いだ時は、お父様の会社は400社くらいと取引があり、会社の事業もうまくいっていたし、社員が優秀で経験豊富なので、苦労はなかったそうです。
そのため、時間を持て余してしまった黄皓さんは新たに自分で会社を立ち上げています。
中国ではパーソナルジムはそれほど流行していなためか、両親は、はじめはジム事業をすることに反対したそうですが、成功して恩返ししています!
黄皓の幼少期は貧しかった?

黄皓の幼少期は中国の内陸部で米袋で遊んでいた!
黄皓さんの現在のご実家は豪邸ですが、幼少期は団地住まいだったそうです。
インタビューをまとめると、
- 中国の湖南省(南側の内陸の都市)生まれ
- 子供のころはボロい団地に住んでいた
- 家の周りの道路は、一応舗装されてたけど道はデコボコ
- ボールではなく、米が入った袋を投げ合ってドッヂボール
- 「バンッ」ってキャッチすると、白い粉が舞い上がるような袋でずっと遊んでいた
当時の中国では、一般的な子ども時代だったようです。
これだけでは、黄皓さんの幼少期が貧しかったかどうかは分かりませんが、決して裕福な上流階級の生まれだったのではなく、中国の一般家庭だったということが分かります。
日本にいる両親に少し余裕がでると、東京に呼び寄せられて半年くらい日本の小学校っていたそうです。
15,6歳の頃(中学3年生)から黄皓さんは、日本で暮らすようになりました。
黄皓の幼少期は貧しくても愛のある家庭だった!

黄皓さんのお父様は何度も事業に失敗して倒産していますが、もともと裕福な家庭でなかったので、急に貧しくなることはなかったそうです。
生活が困窮するほど貧しくはないけれど、贅沢な暮らしではなかったようです。
黄皓さんは、子どもながらに、ご両親の苦労を感じていたそうですが、お父様が失敗しても気にせず前に進む姿を見て、信頼していたといいます。
もともと、裕福な家庭ではなかったので、父の会社が倒産しても急に貧しくなったりはしませんでしたが、子供でも会社がだめになるのは大変なことだとはわかっていたので、父のことを心が強い人だと思っていました。普通は、自分の会社が倒産したら落ち込むじゃないですか? でも、父は「さて、次は何をやるか?」みたいな感じでけろっとしていました。でも、父にはそれを補ってなお余りあるバイタリティーがありました。あとは、父の周りには人が集まってきて、事業を手伝ってくれる。だから、何度失敗しても立ち直るし、きっと大丈夫だろうと自分も周りも思える。それを見ていた僕ら家族も「きっと父はすごい人なんだろう」という感じで、信頼していました。
引用:KEY PERSON
幼い頃から父親を尊敬していた黄皓さん、お母様も妹もお父様を信頼していたということで、とても愛のある家庭ということが想像できます。
失敗しても人が集まってくるというお父様の人柄のよさも感じられますね!
黄皓さんは、お父様とお母様の美貌を受け継いだだけでなく、不屈のメンタルや愛も受け継いでいるようです!
黄皓の家族の仲良しエピソード!
両親は初恋同士で現在もラブラブ!ペアルックも!
黄皓さんの両親は初恋同士で結婚しているということで、現在も黄皓さんの前でも手をつなぐほどラブラブです。
おそろいのTシャツやおそろいのブランドを着ています!
お母様がコーディネートしているのでしょうか??素敵ですね。
苦楽をともにしてきてさらに絆が強くなっているでしょう。
そう考えると、就活は「初めての恋愛」とも言えますよね。そこでいきなり良い相手を見つけるのは難しい?
うーん、でもうちの両親は初恋同士で結婚しているんですよ。今も40年近く連れ添っているから、成功する事例もあるんじゃないですかね。
引用:one career
両親の愛に飢えたこがなく反抗期もなし!

黄皓さんは、家族を「大好物」と話していて、両親も妹も大好きなようです。
動画で子育てについて、自分が両親から受けた愛をもとに語っています。
黄皓さんは、動画で、幼少期に離れて暮らしていたけれど、限られた時間の中で全身全霊で接してくれたから愛に飢えていたことがないと話しています。
黄皓さんは、両親に甘やかされたのではなく、「何を言っても、自分の意見を聞いてくれた」と話しています。
両親の価値観でアドバイスはするけれど、黄皓さんが間違っても大丈夫だから、最後は自分できめろ、と黄皓さんのことを信じてくれていたそうです。
黄皓さんが会社を引き継ぐかどうかも強制していませんでした。
子どものときから、信頼して愛してもらったと話しています。
そのため、黄皓さんは両親に対して反抗期はなかったそうです!
妹さんは反抗期があり、お母様は、「みきは大変だけど黄皓は天使だった」と話したそうです。
妹みきさんが、反抗期で両親に暴言を吐いたときには黄皓さんが厳しく叱ったそうです!
お父さんにパーカーをあげる

黄皓さんが購入したsupremeのパーカーをお父様にとられたというエピソードを苦笑しながら紹介しています。
親孝行ができて嬉しいのではないでしょうか?
お母様もお父様もお洒落なので、黄皓さんもファッションが大好きなのですね!
2020年には、しばらく上海に帰れていないと心配する投稿をしていました。
お父様がご病気で会社を黄皓さんに引き継いだこともありますし、妹もロンドンで大学生活をしているので、離れて暮らす両親が心配なのでしょうね。
愛にあふれた素敵な家族なので、黄皓さんは挫折を味わったことが泣く自信があるのでしょうね!
黄皓さんのご両親が現在もラブラブで黄皓さんも両親を尊敬していて、とっても素敵な家族ですね!
名前の由来が素敵
黄皓さんは自分の名前をとても気に入っていて、なんなら自分の子どもにもつけたいといっています。
秋分の日生まれなので、月が一番きれいに輝く日に生まれたので、月が白く輝く様子を形容した皓という字が使われいているそうです。
両親の「月が太陽の光をきれいに輝かせるように、いろんな人の想いをうけとって、それをよりキレイに人に反映させて欲しい」という願いが込められているそうです。
自分が輝くのではなく、人の気持ちを受け取ってというところが、とっても黄皓さんの両親らしいですよね!
黄皓さんのご両親の人柄がうかがえるエピソードですね。
バチェラー4の配信予定は?

今後は11月25日から毎週木曜日22時から3話ずつ配信予定です。
今までは24時から配信だったので、リアルタイムで楽しむ人がふえそうですね!
- 11月25日(木)22時~ 1~3話
- 12月2日(木)22時~ 4~6話
- 12月9日(木)22時~ 7~8話&暴露トークスペシャル
- 12月16日(木)22時~ 9~10話&暴露トークスペシャル
楽しみですね!
コウコウさんが出演していたバチェロレッテを見たい方はこちら!