元t.A.T.u(タトゥー)レナ・カティーナ(レーナ・(リェーナ・)カティーナ)さんは、2003年にMステの生放送で“ドタキャン”し、日本メディアから姿を消してしまいました。
ロシア発で世界的に人気を得たユーリャ・ヴォルコヴァさんとレナ・カティーナさんの女性デュオ、タトゥーは2011年に正式に解散していますが、レナ・カティーナさんもユーリャさんもその後もソロで音楽活動を続けています。
2022年春、タトゥーとして公演すると発表されました。
2021年12月15日、16年ぶりに「今夜くらべてみました」で日本のメディアにレナ・カティーナさんが登場します。
日本でもタトゥーが再ブレイクするでしょうか?
レナ・カティーナさんが日本でブレイクした時は10代でしたが、現在は美しいシングルマザーで、幼い子どもを育てながら精力的に活動し、ファンから大人気ということが分かりました。
この記事では、レナ・カティーナさんの現在、私生活、子どもの情報をインスタやフェイスブック、公式HP、YouTubeから紹介し、タトゥーのドタキャンの真相やその後の日本での活動を調査しました。
タトゥー復活?
レナカティーナさんとユーリャさんは2011年にタトゥー解散してからも、求められてソチオリンピックでタトゥーとしてパフォーマンスしています。
その後、2人の考え方の違いから再結成はないとコメントしていました。
しかし、タトゥーはロシア国民の誇りでもあり、ソロで活動していてもレナカティーナさんはタトゥーを名乗りっていたり、度々タトゥー再結成について聞かれたりしていました。
2019年の時点では一緒に活動することはないと話していましたが、和解したのか、ソロでの活動に限界を感じたのか、
2021年10月、タトゥーが2022年春に再結成されると発表されました。
レナ・カティーナは現在も人気!インスタフォロワー32万人!
レナ・カティーナは美人シングルマザー

レナ・カティーナさんは同性愛者という設定でタトゥーの活動を行っていましたが、それは演出の一部で、実は2人とも、レズビアンではありませんでした。
先にタトゥーメンバーのユーリャさんが妊娠し、レズビアンはプロデューサーの演出ということがバレていましたが、レナ・カティーナさんも2013年にスロベニアのミュージシャン、サーシャ・クズマノヴィッチさんと結婚し、2015年に長男SonSasha(サーシャ)くんを授かっています。

2019年、旦那との関係を修復しようと試みたものの和解できず、レナ・カティーナさんが子ども引き取る形で離婚しましたが、現在もスロベニアにすむ旦那さんとは良好な関係を築いているそうです。
2020年テレビ番組雑誌のために初めて5歳のサーシャ君をメディアで紹介しました。
レナ・カティーナさんは、息子の夢を応援したいと語っていますがそれが芸能界でないことを願っていると語っています。
自分が10代の時、タトゥーとして有名になりましたが色々苦悩があったようですね。
しかし、音楽学校を希望したら音楽学校へ通わせるそうです。
レナ・カティーナさんのお父さんはミュージシャンだったそうなので、音楽の才能がありそうですよね。
レナ・カティーナさんのインスタでは、プレイパークで子どもの誕生日を祝う姿が公開されています。

2021年11月3日には、検疫のために2週間ホテルに息子さんと缶詰だったようで、息子のサーシャ君を楽しませる方法に頭を悩ませていたそうです。
フールというゲームで遊ぶのが子どもののお気に入りだそうです!
ちなみにレナカティーナさんは現在、彼氏がいるようです。
息子とリアリティー番組「ママライフ」出演決定

レナ・カティーナさんの公式HPを見ると、2021年10月、スターの母親の生活について紹介するリアリティ番組「ママライフ」という番組の新シーズンの主演に抜擢されたと書かれています。
映画「マイリトルポニー」プレミアに息子と参加

2021年9月には長男サーシャ君と映画「マイリトルポニー」のプレミアに出席しています。
シングルマザーとしても注目されていることが分かります。
息子を芸能界にはいれたくないようですが、サーシャ君は芸能界に興味があるのでしょうか?
レナ・カティーナが美人過ぎる!モデル・女優としても活動

レナ・カティーナさんは、36歳の現在もとても美人で、歌手としての活動だけでなく、モデルや広告の仕事も行っているようです。
インスタグラムにはフォロワーはなんと32.2万人もいて、コメント欄は美しさをたたえる声で溢れています。
2008年には女優デビューも果たし、2014年2月13日に公開されたディズニー映画『ティンカー・ベルとネバーランドの海賊船』のロシア語吹き替え版では、妖精ザリーナの声も担当しています。

インスタでは、メイク道具や家具の宣伝もしています。
音楽活動も順調?シングル・アルバムも制作

レナ・カティーナさんは、タトゥー解散後、うつ病になってしまったそうですが、音楽活動再開を後押ししてくれる人に恵まれ、音楽活動を再開します。
2013年にはシングル3曲しか出していませんでしたが、2014年に念願のファーストアルバム「ThisIsWhoIAm」リリース。
音楽番組やTVラジオで活躍したり、コンサートをするまでになりました。
YouTubeは現在登録者数9.55万人です。
レナ・カティーナさんがソロ活動は、もちろんタトゥー時代からのファンが応援しています。
さらにソロを通してタトゥーのファンができ、2020年にはタトゥーのシングル「All The Things She Said」が、Spotify(オンライン音楽リスニングサービス)で1億ストリームに達したそうです。
そのため、タトゥーは解散していますがタトゥー再結成を望む声があります。
ソロでコンサートをする時も、タトゥーの曲もアレンジして披露しているようです。

2019年のインタビューではタトゥーの再結成について、2人の意見が合わなかったと語っていましたが、2022年にタトゥーとして公演することになったということです!
このまま、再結成もあるのでしょうか?
2020年ロシア版マスクドシンガー「マスカ」出演

レナ・カティーナさんは、2020年に、世界的に大人気の音楽番組「マスクドシンガー」のロシア版「マスカ」に出演し、絶賛されました。
マスクを着てくもの動きをするのはとても大変だったそうです。
他のアーティストの曲を演奏したり、さまざまな音楽ジャンルで試してみたりする機会があり、将来のキャリアにも役立ったと話しています。
ソーシャルプロジェクト参加
レナ・カティーナさんは幼少期に小児性愛者に襲われた経験があるそうで、有名人が人生で経験したネガティブな経験を共有するソーシャルプロジェクト「私は恥ずかしくない」(日本語訳)に参加しています。
過去には、LGBTコミュニティへの支援をしていたこともあり、継続的に「愛」について、発信しているようです。
2014年ユーリャさんが同性愛者について否定的なコメントをしたことで、レナ・カティーナさんとの関係が悪くなってしまったようですが、レナ・カティーナさんは同性愛者について肯定的で世界的に発信をしています。
タトゥーのドタキャンの真相は炎上目的

タトゥーのMステドタキャンはプロデューサの指示だった
200年に世界的に大ヒットした、レナ・カティーナさんが14歳の時に結成された女性デュオ、タトゥー(1998年結成)は日本でも人気を博し、2003年にMステに出演することになります。
しかし、リハーサルもして、オープニングまで出演していたのに、歌本番にドタキャンし、伝説を残しました。
当時は「自分たちのためだけの音楽番組じゃないからいやだ」といったそうで、わがままと言われました。
後日開いた記者会見でも謝罪せず、「何も悪いことはしていない」と開き直ったため、日本では大バッシングされました。

実は、記者会見での反抗的な態度も演出だったそうです。
、この炎上商法は日本では受け入れられず、2003年年末に東京ドームで2日間コンサートを開いてもチケットが格安で転売される始末となり、日本から消えてしまいました。
後日、レナ・カティーナとユーリャはプロデューサーによる出演ストップ命令を告白しています。
2人のわがままでなく、プロデューサーらが指示した炎上狙いだったとは残念すぎますね。
歌手の2人の立場からしたら出演したかったのではないでしょうか?
プロデューサーから「2人とも今すぐそこを立ち去れ、理由は後で話す」と電話で指示された2人は、「何で?何で?」と聞き返したものの指示に従うしかなく、番組スタッフの制止を振り切ってテレビ局を立ち去ったそうです。
「話題作りのため」だったそうですが、時間を大切にする日本では受け入れられず、大失敗となりました。
謝罪ソングも作っていますが、日本で復活はありませんでした。タイトル「ごめんなさい」です。
タトゥーは、イギリスなどでも公演をドタキャンをしていたそうです。
歌の実力が素晴らしいので、パフォーマンスが見たかったですよね。
ちなみに、タトゥードタキャン事件で混乱した状況を見かねた「THEE MICHELLE GUN ELEPHANT」が再ステージを披露し、尺を繋ぐことを提案したそうです。
同じく初登場で注目されていたグループです。MCのタモリさんのつなぎもよく、番組が炎上しなくてよかったですね。
タモリもタトゥーのドタキャンが一番印象に残っている

2021年11月15日、MステMCのタモリさんが音楽番組「ミュージックステーション」が10月、ギネス世界記録に認定されたことについてGLOBEからインタビューを受けました。
同一司会者による生放送音楽番組の最長放送として、タモリさんは34年余りMステを担当していますが、最も印象に残っている放送がタトゥーのドタキャン事件だそうです。
34年の中でもっとも印象に残っているとは、本当に当時は大事件だったようですね!
タトゥーは炎上商法はロシア情勢と関係していた

グループ名の t.A.T.u (ロシア語で、ТАТУ)は、ロシア語で、“This (girl) loves that (girl)”を意味する文の頭文字をとったもので、当時はグループ名でなく、プロジェクト名だったそうです。
タトゥーというと、2人の歌手をさすのではなく、プロデューサー・作曲者・作詞者・各マネージャーを含むプロジェクト全体の名称だそうで、 ヴォーカルの2人だけを指すときはタトゥーシュキと呼ぶのが正しいそうです。
プロデューサーのイワン・シャポワロフさんは、もともと児童精神科医だったそうですが、低予算のMVを手がけ、音楽ビジネスをスタートし、炎上商法でタトゥーを成功に導きました。
しかし、過激になってしまい、日本での活躍の場を奪われる結果になりました。
10代の レナ・カティーナさんとユーリャさんは従うしかなかったと悔しそうに振り返っています。
いわん・シャポワロフさんが炎上路線が過激になった背景は
- 当時時のロシアは、ソ連崩壊に伴って急激に市場経済へと移行しようとしていた
- 一攫千金を狙ってショービジネスの世界に挑む人たちが相次いだ。
- シャポワロフ氏も、音楽業界で金儲けをねらって過激路線になっていった
- 2人を大統領選に出馬させる・反戦活動をさせてノーベル平和賞を狙わせる、などのアイデアを本気で実行しようとした
- 世界的に有名になったタトゥーはロシアの愛国心や自尊心の象徴だった
- シャポワロフ氏は「権力者」で、2人は「従属状態」に置かれていた
現在も人気を誇るレナ・カティーナさんは、機会があれば日本で再活躍するかもしれませんね!
レナ・カティーナはタトゥー解散後ソロで活動!日本復帰もある?

2人はソロで活動していてレナ・カティーナさんは、相方のユーリャさんの活動に好意的ですが、ユーリャさんはレナ・カティーナさんの活動に否定的なコメントを発表したこともありタトゥー解散直後は2人の関係はよくなかったようです。
しかし、2013年のインタビューでは、日本で望む声があるならタトゥーとして舞台に立ちたいとも話しています。
日本で復活もあるのでしょうか?
ここでは、タトゥー炎上はわがままではなかったという真相が分かってからの、日本でのレナ・カティーナさんの活動を紹介します。
2013年スニッカーズのCMで来日、ニューイヤーズワールドロックフェスティバル出演快諾
2013年スニッカーズのCMで、タトゥーとして7年ぶりに日本に来日します。
その時に共演した内田 裕也さんに誘われてロックフェスティバルは「打倒!NHK紅白歌合戦」をテーマとして行われるニューイヤーズワールドロックフェスティバルにも参加しました。

ロックイベント「ニューイヤーズワールドロックフェスティバル」について、内田さんは「この世界、ちょっとぐらい毒がないとダメだよ」と話していて、過去に女優の沢尻エリカさんなど“お騒がせ有名人”を起用しているそうです。
ミュージックフェスティバルドタキャンで印象がよくなかったそうですが、CMで意気投合し、出演依頼するに至ったそうです。
2013年は、レナ・カティーナさんは活動拠点をエンタメの本場ロサンゼルスに移して、曲作りに専念していて、ユーリャさんはモスクワで子育てに専念していましたが、日本でバッシングを受けたにもかかわらず、日本のことは好きだったそうです。
東日本大震災チャリティーソング作成

レナ・カティーナさんは子どもの頃にセーラームーンをきっかけに日本を好きになったそうです。
東日本大震災で被災した子どもたちを支援するために「Keep On Breathing」というチャリティーソングも作っています。
収益金を「あしなが育英会」経由で震災遺児に寄付しています。
2014年作曲家として土屋アンナさんの楽曲に参加
2014年土屋アンナさんのソロデビュー10周年イヤー突入の第一弾となるミニアルバム楽曲「LUCIFER=堕天使」にレナ・カティーナさんも作曲家として、参加しています。
タトゥー解散後は、苦戦しながらも音楽活動を精力的に行ってることがわかります。
2021年レナ・カティーナが「今夜くらべてみました」に出演
16年ぶりに日本のメディアに登場します。
どんな話を披露してくれるのか楽しみですね!

【元タトゥー】レナ・カティーナのプロフィール紹介

1984年10月4日生まれ
ロシア出身の歌手、作曲家、パフォーマー。
ミュージシャンのイネッサ・ヴセヴォロドヴナ・カティーナとセルゲイ・ヴァシリエヴィッチ・カティンの娘で4歳から様々なスポーツ・クラブや音楽クラブに通っていた。
小学2年生の時に音楽学校へ転校しピアノを習う。
10歳のときには児童グループ「アベニュー」にソリストとして参加。
13歳のとき、ボーカル・器楽グループ「ニェポシェデ」のメンバーとなり、そこでユーリャ・ボルコワと出会い、友人となった。
14歳のとき、彼女はポップ・デュオ「t.A.T.u.」のメンバーとして起用され世界的にヒットし、現在も世界中にファンがいる。
2011年からソロ活動開始。